逃げ恥のインパクト
「逃げ恥、すごいキーワードをぶっ込んできた〜!!!」
という記事のタイトルをネットで見て、なんだなんだ⁉︎と気になること2日。やっと録画を見た。
ポップなドラマなはずなのにすごく破壊力のあるキーワード。愛情の搾取。流行語対象は終わっちゃったけど、今からでも今年のにノミネートしてもいいくらいのインパクトだ。
合理性から結婚しようというヒラマサ氏。で、みくりがええっ!となると、じゃ愛してないんですか?と。
うーん、論理のすり替えじゃない?逆に愛があれば、なんでもやってもらってオッケーってこと??
で、好きの搾取には反対します!に続くわけなのだけど。
じゃ、うちの場合どうなのか(搾取されてないか、してないか)…と思うと、愛されてるから❤︎と思いながら(期待して]何かをやったことは私はないし、愛してるから何かをやってくれてる感じもしない。
今のところは問題なさそうだけど、期待ってもんは勝手にふくらんでいくものだから、
これからひょっとしたら、夫だから、妻だから、(父だから、母だから、とかもでてくるかも)やってもらって当然!と思うことが出てくるかもしれなくて。
そこんとこは気をつけないといけないなぁと思ったのでした。
やっと出会えた来年の手帳
来年の手帳、やっと決まった〜〜。
高橋のバーチカルの手帳とムーンプランナー。
バーチカルは、ちょっとオトナの階段を上る意味wで、これから仕事や草の根だけでなくプライベートの予定もちゃんと書いていこうと思ったので。
土日も同じサイズがよかったけど、手帳の水色に一目惚れしてこれに。
ムーンプランナーは、少し前から使い始めているけど、これが日記や出来事を書くのにちょうど良いスペース。後から書いてもなんとか埋まるのがうれしい(これまで、ほぼ日手帳を使って空白のページが多かったので)。
月の満ち欠けも書いてあるのもなんだかうれしい。(蟹座は月がテーマらしいので親近感)
来年もたくさんのシアワセと発見に出会えますように!
一口にグループワークといっても
今日はとある集まりに。
話を聞くだけかな、と思っていたら、教室形式ではなく、テーブル形式になっている。まさかね〜と思いながら、ギリギリで着いたので、空いている前の方の席につく。
前半は話を聞いて終了。
やれやれ…と思っていたら、後半冒頭「せっかくなのでテーブルで自己紹介してください」との声が!私のテーブルは全員が女性だったのだけど、誰がやるの?と見回している。
ポツリポツリと自己紹介をし、そのあとしーーーん。
こ、これは久しぶりに味わうイタくツラく重い空気感!!!こ、このあとのグループワーク的話し合い、一体どうなるの〜!!!
「○○のテーマで話し合ってください、話したことをこの紙に書いてね」と進行役。
誰が書く?と見回すと、隣のテーブルではじゃんけんで書く人を決めている。
じゃ、うちも書く人を決めよう!とじゃんけん。なんと私が負けて書く人に。
神様ありがとう!!!!私が書いちゃっていいんですか❤︎
そこからは話を促したり、他の人が自然と話してくれたりして、想像以上に話が続いてほっと。。あー、よかった。
なかなか刺激的な経験だったけど、これで思い出したのは貿易ゲームのこと。あのときも、遠慮して意見を最初はすごくためらってしまった。(今回は合意するわけではないけど)
初対面の人に意見を言う=図々しい、でしゃばりという図式からなかなか抜け出せない。特に積極的な人が誰もいないと…。役割があると全然そんなこと気にならなくなるのにね。
弱みを克服するのはきっと難しいだろうから、弱みの上手い使い方がそのうちできるといいなぁ。
それにしても、、疲れた〜〜苦笑
なんくるない
入院している家族がいることや、自分が今年入院したこともあって、人のために時間を使うということとか、家族について考える機会が増えている。
家族の中での自分の役割は変化し続けていて、
夫含め、家族や友人に助けてもらえるありがたさっていうのはほんとありがたいし、その分はいつかどこかで誰かに返したいなぁも思っているし、
これまで、小さい頃から自分がどれだけ病気のときに、病院に付き添ってもらったんだろうと想像するともうすごいなって感嘆しかなくて(もうそれは感謝しかない。どれだけ時間を使ってくれたんだろうと思う)…。
もちろん気づくことばかりではなくて、気持ちが晴れなくて、不安ばかりが募って、スケジュール帳がもやがかかったように見えることもあるけど、そんな時には、なんとかなる、なんとかなる〜〜と言い聞かせている。
不安にならないことが私の課題だよと夫がよく言うので、その対策として、1番しっくりきたのがこの言葉で。唱えると、なんとかなるような気がする単純な私w苦笑
生きてれば年をとるし、いろんな予想外のことも起きる。それを嘆くでも怖がるのでもなく、できるだけフラットな気持ちで、おまじないを唱えながら、その時の最適解を探し続けていきたいなと思う。
自分だけが損をしているような感覚
今週は、
真面目にやってきたことがすごーく肩透かしにあってがっかりすることとか、他の人の仕事が降ってくるとか、、なんか色々あってやりきれず、、
残業もしないし、テキパキ仕事してるし、仕事にもこんなに真摯に向き合ってるのにバカみたい〜〜
と友達に思わず愚痴ってしまった。
そうだよね、そうだよねー。
とその場は2人で盛り上がって、
もう真面目に仕事はしないどこう、という話になったのだけど。
この本を読んでいたら、バカみたい=人と比べて得か損かみたいなことを考えてたんだなぁってことに気がついた。
そこってほんとに人と比べるべきもの?
使える能力があるんだったら、それを出し惜しみせず使ってみてもいいんじゃない?
アメリカの大統領選挙結果でも、ふるさと納税でも、なんか感じてしまうのは、自分だけは損したくないというメッセージだ。
私も、お値打ちという言葉は大好きだし、サービスです!なんて言われると顔が緩んでしまう。
だけど、どっちが得か損かばかり気にしてると、どんどん自分で楽しみを狭めてしまうような気がする。
仕事でも、日常でも。
今日の草の根のミーティングでは、みんな自分を惜しみなく出して打ち合わせしていて、楽しそうで、
こっち側にいたいなと、強く感じてしまった。
出し切っていれば誰かが見ててくれて評価してくれる…なんてことはないだろうけど、少なくとも力を出している方が面白いことにたくさん出会えそうな気がする。
人は気にしない!ことから始めてみるかなぁ〜〜。修行はつづく。。
内面を見せないこと
よしもとばななさんのエッセイは、父が亡くなったときに友達が貸してくれて、それ以来ずーっと折に触れ読み返しているのだけれど、読むたびに響くところが違う。
(ちなみに借りた本は返して自分で買った)
最近響いたのは、自分の内面を文章には出さないというところ。
プロならば、「東京ディズニーランドに行きました」いうことを、とても楽しかったバージョン、喜びを抽象的に表すバージョン、自殺すれすれバージョン、冴えないバージョン、平凡なバージョンで、嘘を書くこともなくスラスラ書けるけれど、
どの視点から書くかが、作家の個性というもので、ばななさんは内面的なものを出すのをよしとしない、それは好みの問題で善悪の問題ですらない、
というような話だった。
折しも、今日は友達の誕生日で。
誕生日のメッセージを送るときにいつも思うのは、
何もない人なんてたぶんそんなにいなくて、だからこそ、これからの1年でひとつでも多く楽しいことがありますように、ということだ。
歳を重ねてきてw、いろんな話を聞くし、いろんなことを体験してきた(まだ道半ばかもしれないけどー)。
いろいろあるのは仕方がない。
まぁでもそれは、自分や周りの人の力を借りながらなんとかかんとかして、心踊ることや美しいものやあたたかい時間をつくることを目指していきたいし、言葉にするなら、そんな発信をしたいなって思う。
(最近の心踊ることは、逃げ恥の曲に合わせてこっそりダンスを練習することw )
見えない世界の方がたくさんあって
実はそんなことがあったんだ、とびっくりすることがあった。Facebookで見せる一面はほんの少しの部分だったのだなと思う。
それをいえば私だってそうだ。あの人がああでこうでとか、おうちのことか、自分のこととかまぁそんなに細かくは書かないわけで。
だから、ネットを見るときは、見えていない世界の方が広いことをちゃんとわきまえてないとと思う。
それと、自分ですらこんなにやりたいことや考えることがあるんだから、近しい人以外のことは気にしないこと。人に口出しするよりも(仕事もそうだ)自分のできることに注力すること。
冷たい考え方かもしれないけど、私にとって大切な考え方だなぁと最近思っている。