組織と人と正しさと

組織と人の関係について、年末からモヤモヤと考えている。

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そうそう!と頷き、いやいやと首を振り、思いが泡のように浮かんでは消えるを繰り返していた。たぶん、こういう問題を”ほっておけない”というのだろう。

何か組織の問題、例えば過労死だとか、うつ病だとか、セクハラ・パワハラだとか、が起こったときに、もっと早く何かできなかったのか?何か手を打てなかったのか?と思うのは自然な感情だと思う。

でも、それはとても難しい。変化は砂のように少しずつ訪れるものだから。遠くまで来てしまってから、こんなに心が離れていたのか、辛かったのか、と気づく。

 

昔、プレッシャーを与えていた側になったことがある。

自分では仕事ができるつもりで、テキパキ仕事を進めていたら、相手がいつのまにか休職していた。その時は、なんであんなことくらいで、と思ったくらいで、全く悪気はなかった。

プレッシャーを受ける側になったこともある。

そのときにはあまりに辛くて、メールやパソコンに触る気にもなれず、どうやって自分を守るべきか、必死で探していた。

そのとき、初めて気づいた。あの人が弱いとか間違ってるとかじゃなかったんだって。そもそも、正しいってなんなんだ。

 

見える世界は人によって違う。社長・代表とスタッフ、支援者と被支援者、スタッフ間でも違う。そのときに、「見えないからしょうがない」とは言いたくない。知ったかぶりして、組織のここが悪いよねという評論家にもなりたくない。葛藤を持ちつつ、参加し続けたい。

じゃ、どうする、と思ったときに、

いい組織って「いてくれていいんだよ」「いてくれてうれしい」を送りあってる人の集まりなのかもしれないなと思った。そういう存在でありたい。