うっかり落ちる”お客さん”の罠

この週末、小さい講座を企画した。

発達の観点から、子どもの口にとって大切なことは何かを学ぶ勉強会だ。

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イベントを企画するって、細かいディテールの積み重ねだったことを終わってから思い出した。広報文を練り、集客ターゲットから日程を調整し、講座内容を打ち合わせ、必要なものを用意し、参加者とメッセージを交わす。

当日も、備品をセットし、会場を開錠し、机を並べ、お茶を用意し、受付をし、、

一言で言えば、”準備する”になるのだけど、小さい積み重ねがあってイベント開始に至るわけで。

子どもが生まれてからこのかた、受け取る側ばかりいたから、すっかり忘れていた。

 

受け取る側にいて、”お客さん”にばかりなっていたからだと思うけれど、私も、企画者の小さな積み重ねのことなんか忘れて、ここ最近は、その場がどうだったかをジャッジする批評家になりがちだった気がする。自分が”お客さん”であることすら気づかなかったことも多かったのではないか。

時間とお金をかけてファシリテーションを学んできたのに、なんてこと!である。

 

もちろん、改善もフィードバックも大事だれど、まずは、開催すること自体に敬意を示したい。企画者がそこにかけた時間と労力も無料ではないから、(それが料金に反映されているかどうかは別として)、自分も参加して、その場を味わい尽くしたい。

なんて、柄にもなく、アツクアツク。