「いい母親」という落とし穴

池井戸潤を読んだ。

下町ロケット。TVドラマの時は全くのスルーだったのだけど、面白い。わたしの中にある仕事にアツイおっさんマインドwが揺さぶられた。モノづくり、職人技、いいねぇ。

7つの会議も一気に読み終えた。

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この7つの会議に出てくる「新田」という登場人物が最悪だった。プライドが高く、うまくいかないことは人のせいにし、自分勝手。

身近な準備も先回りしてやって、機嫌を損ねないように色々買って、、作品では、こんな風になんでもやってくれる母親が新田の性格を作った、と描かれていた。

 

これを読んで、「いい母親」「正しい子育て」について友人がブログを書いていたことを思い出した。

なんだろうね、いい母親って。

新田の母みたいに、世話をしすぎるのがよくないことは、なんとなくイメージでわかる。でも、一方で、子どもの喜ぶ姿が見たい!と思って、色々やってあげたくなる気持ちもわかる。

 

だけど、いい母親になりたいのか、と聞かれると、どうかなと思う自分もいる。

自分が子どもだとして、”わたしいい母でしょ”オーラが出てる、たとえば、週末にはお菓子を作り、子どもにゆとりを持って接し、子どもの時間は最大限に尊重し、それでいて観察も怠らず、家事も育児もバッチリ、みたいな母がいたら、相当息苦しいんじゃないかと。

 

たまにフェイスブックの、私はこんなに子どものことを考えているんですよと言う”いい母”投稿に、「あんたは自分のことばかり考えてるんじゃないか」と突っ込まれているかのように感じることもあるけれど、直接言われたかといえば言われてないし。そもそも、投稿でその人は、こんなに子どものことを考えていると伝えているわけではないかもしれないなぁ。

「いい母親」という言葉が出てくると、どうも自分と比較しちゃっていかんね。

 

見えないゴーストを探さずに、心には花を。