ほんのちょっと当事者

ほんのちょっと当事者という本を読んだ。

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わたしはそっち側じゃない!

わたしも人を遠ざけた経験がある

なんて、差別する側にも、◯◯者として「  」にくくられる側にもたったことを著者の青山ゆみこさんが書いているエッセイだ。

 

ここで書かれている感情は、どちらも、わたしにも記憶がある。

結婚が遅かったので「未婚者」であることにモヤモヤして、そっち側じゃない!と思っていた時期があった。勝ち負けじゃないのに、勝手に敗者のラベリングを自分に貼っていた。今考えると、弱くみられたくない、ということだったのかもと思う。

 

もちろん、差別した経験も数知れず。

差別しまいとするあまり、変に友好な態度をとってしまうことすらあった。でも、これについては、付き合っていた頃のうちの夫から、「人の好き嫌いってあっていいと思うよ。障害があったからといって、好きにならなきゃいけないわけじゃないし。」と言われたことでハッと気づき、無事軌道修正したけれど。

 

 

最近、どうも、

あの集団の考えは古いから、

ダイバーシティとかSDGSとか(のカタカナ語のリベラルな考え方)男性の育児参加とか(これは漢字w)わかってないよね、

という内容にカチンときてしまう。

リベラルな考え方自体に共感はできるのだけど、「  」で相手をくくって、自分が少し上に立って、外野からヤジを飛ばしてるだけじゃないかということを思うのだ。たぶん、過去の自分も上から目線がちだったから、隣の芝がよりとんがって見えてしまうのだろうと思う。

 

 

ああ、めんどくさい。

こんな考えをしてしまう自分はとてもめんどくさい。

 

どこまでいっても、自分もちょっとばかし当事者であることからは逃げられない。

子育てはもちろん、介護も、家族も、まったく人ごとじゃない。

だとすれば、自分の周りのところを少しずつ耕していくしかないのだと思う。

 

こちらの青山さんの文章もいい。人生はどかんと落ちてくる。

https://www.mishimaga.com/books/tokushu/001738.html