一口にグループワークといっても
今日はとある集まりに。
話を聞くだけかな、と思っていたら、教室形式ではなく、テーブル形式になっている。まさかね〜と思いながら、ギリギリで着いたので、空いている前の方の席につく。
前半は話を聞いて終了。
やれやれ…と思っていたら、後半冒頭「せっかくなのでテーブルで自己紹介してください」との声が!私のテーブルは全員が女性だったのだけど、誰がやるの?と見回している。
ポツリポツリと自己紹介をし、そのあとしーーーん。
こ、これは久しぶりに味わうイタくツラく重い空気感!!!こ、このあとのグループワーク的話し合い、一体どうなるの〜!!!
「○○のテーマで話し合ってください、話したことをこの紙に書いてね」と進行役。
誰が書く?と見回すと、隣のテーブルではじゃんけんで書く人を決めている。
じゃ、うちも書く人を決めよう!とじゃんけん。なんと私が負けて書く人に。
神様ありがとう!!!!私が書いちゃっていいんですか❤︎
そこからは話を促したり、他の人が自然と話してくれたりして、想像以上に話が続いてほっと。。あー、よかった。
なかなか刺激的な経験だったけど、これで思い出したのは貿易ゲームのこと。あのときも、遠慮して意見を最初はすごくためらってしまった。(今回は合意するわけではないけど)
初対面の人に意見を言う=図々しい、でしゃばりという図式からなかなか抜け出せない。特に積極的な人が誰もいないと…。役割があると全然そんなこと気にならなくなるのにね。
弱みを克服するのはきっと難しいだろうから、弱みの上手い使い方がそのうちできるといいなぁ。
それにしても、、疲れた〜〜苦笑
なんくるない
入院している家族がいることや、自分が今年入院したこともあって、人のために時間を使うということとか、家族について考える機会が増えている。
家族の中での自分の役割は変化し続けていて、
夫含め、家族や友人に助けてもらえるありがたさっていうのはほんとありがたいし、その分はいつかどこかで誰かに返したいなぁも思っているし、
これまで、小さい頃から自分がどれだけ病気のときに、病院に付き添ってもらったんだろうと想像するともうすごいなって感嘆しかなくて(もうそれは感謝しかない。どれだけ時間を使ってくれたんだろうと思う)…。
もちろん気づくことばかりではなくて、気持ちが晴れなくて、不安ばかりが募って、スケジュール帳がもやがかかったように見えることもあるけど、そんな時には、なんとかなる、なんとかなる〜〜と言い聞かせている。
不安にならないことが私の課題だよと夫がよく言うので、その対策として、1番しっくりきたのがこの言葉で。唱えると、なんとかなるような気がする単純な私w苦笑
生きてれば年をとるし、いろんな予想外のことも起きる。それを嘆くでも怖がるのでもなく、できるだけフラットな気持ちで、おまじないを唱えながら、その時の最適解を探し続けていきたいなと思う。
自分だけが損をしているような感覚
今週は、
真面目にやってきたことがすごーく肩透かしにあってがっかりすることとか、他の人の仕事が降ってくるとか、、なんか色々あってやりきれず、、
残業もしないし、テキパキ仕事してるし、仕事にもこんなに真摯に向き合ってるのにバカみたい〜〜
と友達に思わず愚痴ってしまった。
そうだよね、そうだよねー。
とその場は2人で盛り上がって、
もう真面目に仕事はしないどこう、という話になったのだけど。
この本を読んでいたら、バカみたい=人と比べて得か損かみたいなことを考えてたんだなぁってことに気がついた。
そこってほんとに人と比べるべきもの?
使える能力があるんだったら、それを出し惜しみせず使ってみてもいいんじゃない?
アメリカの大統領選挙結果でも、ふるさと納税でも、なんか感じてしまうのは、自分だけは損したくないというメッセージだ。
私も、お値打ちという言葉は大好きだし、サービスです!なんて言われると顔が緩んでしまう。
だけど、どっちが得か損かばかり気にしてると、どんどん自分で楽しみを狭めてしまうような気がする。
仕事でも、日常でも。
今日の草の根のミーティングでは、みんな自分を惜しみなく出して打ち合わせしていて、楽しそうで、
こっち側にいたいなと、強く感じてしまった。
出し切っていれば誰かが見ててくれて評価してくれる…なんてことはないだろうけど、少なくとも力を出している方が面白いことにたくさん出会えそうな気がする。
人は気にしない!ことから始めてみるかなぁ〜〜。修行はつづく。。
内面を見せないこと
よしもとばななさんのエッセイは、父が亡くなったときに友達が貸してくれて、それ以来ずーっと折に触れ読み返しているのだけれど、読むたびに響くところが違う。
(ちなみに借りた本は返して自分で買った)
最近響いたのは、自分の内面を文章には出さないというところ。
プロならば、「東京ディズニーランドに行きました」いうことを、とても楽しかったバージョン、喜びを抽象的に表すバージョン、自殺すれすれバージョン、冴えないバージョン、平凡なバージョンで、嘘を書くこともなくスラスラ書けるけれど、
どの視点から書くかが、作家の個性というもので、ばななさんは内面的なものを出すのをよしとしない、それは好みの問題で善悪の問題ですらない、
というような話だった。
折しも、今日は友達の誕生日で。
誕生日のメッセージを送るときにいつも思うのは、
何もない人なんてたぶんそんなにいなくて、だからこそ、これからの1年でひとつでも多く楽しいことがありますように、ということだ。
歳を重ねてきてw、いろんな話を聞くし、いろんなことを体験してきた(まだ道半ばかもしれないけどー)。
いろいろあるのは仕方がない。
まぁでもそれは、自分や周りの人の力を借りながらなんとかかんとかして、心踊ることや美しいものやあたたかい時間をつくることを目指していきたいし、言葉にするなら、そんな発信をしたいなって思う。
(最近の心踊ることは、逃げ恥の曲に合わせてこっそりダンスを練習することw )
見えない世界の方がたくさんあって
実はそんなことがあったんだ、とびっくりすることがあった。Facebookで見せる一面はほんの少しの部分だったのだなと思う。
それをいえば私だってそうだ。あの人がああでこうでとか、おうちのことか、自分のこととかまぁそんなに細かくは書かないわけで。
だから、ネットを見るときは、見えていない世界の方が広いことをちゃんとわきまえてないとと思う。
それと、自分ですらこんなにやりたいことや考えることがあるんだから、近しい人以外のことは気にしないこと。人に口出しするよりも(仕事もそうだ)自分のできることに注力すること。
冷たい考え方かもしれないけど、私にとって大切な考え方だなぁと最近思っている。
リラックスしすぎるのも考えもの
昨日と今日はフラダンスの発表会。
昨日終わったクラスは何回も出ているし、ふりも覚えているし、だいぶ上手になってきたし、立ち位置前じゃないし、ということで、全く緊張感がなかった。
リハーサルも完璧。練習も1時間くらいしたし、ま、これがベテランの余裕??
なーんて、余裕綽々だったら。
なんと本番、間違えてしまった。それも1回もこれまで間違えたことのないところで!!!
大ショックだったけど、なんとか無事踊りきりました。(楽しむところまではいかなかった〜涙)
それを考えるとプロってすごい。
間違えずに、しかも楽しそうにフラの先生は踊るし、もちろん技術もすごいのだろうけど、安心しすぎず、集中力を保っていくメンタルがすごいなと。(踊り以外でも、プロスポーツとか、演劇とかでも一緒かも)
今日は緊張感もって、集中していくぞーーー。
日常をつなぐもの
病院という非日常的なところにいると、シャバのにおいがとても恋しくなる。
コーヒーのにおい。パンのにおい。コロッケのにおい。
人のざわめきも懐かしい。
だから、病院にあるスタバに人が集まってくるのはよくわかる。普段に近い感覚でいられる、カッコつけられるのがうれしいんだ。病室に帰ればやれ検温だやれ検査だと言われるけど、ここでは普通の、元気な自分でいられる。楽しくおしゃべりを楽しめる。
病院内にあるスタバで、コーヒーを出すカウンターのところに20周年によせたメッセージが置いてあった。
ここに書いてある、日常に活力をもたらす場所って、お店の人が思う以上に貴重だと感じる。
日常をつなぐ架け橋。
パンだけじゃなくバラもなくては生きてく気力は出てこないしね。(よしみちゃんのパクリ)
http://yoshimi-deluxe.hatenablog.com/entry/2016/05/13/003305
というわけで、スタバにいったり、クラフトビールを飲んだり、会いたい人に会ったり、自分の活力を呼び起こす楽しいこと、たくさんやりますよ〜。(言い訳??)