本を読まない人にこそオススメの本

「中高生は教科書を読めているか?」

という問いが衝撃的なこの本、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

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子どもがいる親御さん、子ども・若者の支援をしている方、教育関係者は今すぐ本屋へダッシュ!(夜だからダッシュできないけどw)でしょう。いやほんと。

お風呂入れたの忘れて、一気に読んでしまったーーーー。

 

筆者は、東大合格を目指すチャレンジをしたAI「東ロボくん」の育ての親の数学者、新井紀子さん。

彼女が、中学高校や企業で行った「基礎的読解力調査」の結果をもとに、どのレベルの問題がどのくらいできていないか、読解力がないとどうなるかの推論などを書いている本なのだけど、正直、これはやばいでしょと仰天する内容。新井さんは「サイコロ並み(ひどい言い方wでも核心をついている)の人が半数」と。

自分が問題解けたから安心だーという次元ではもはやない。

 

じゃ、処方箋はあるのかと読み進めると、見つかってはいないと書いてあるのだけど、

読解力は(身長のように伸びる期間があるとかではなくて)訓練や経験次第で伸びる可能性があるんじゃないかとも書いてあって、少しホッとする。

 

読んでいて、ずーっと前に、職場の採用面接のスタッフをやったときのことを思い出した。

明らかに会話が面接官とかみ合っていない受験生が複数いて、この人たちなんで筆記試験を通ったんだろうと心から不思議に思ったのだけど、もしかしたら、知らない単語はすっ飛ばして読むタイプの方たちで、ひたすら暗記してテストをパスしてきたのかもしれないな。。

 

処方箋は書いていないが、最終章と関連して、文章を書くことも読解力を向上する一つの方法なのかなとぼんやり思っている。

伝えたいことがあるから、言葉をググるし、文章を練るし、推敲して直すなんてこともする。それが読む力をも鍛えるのかななんて。

普段本を読まない人にこそ、読んでほしい!

冷静と愛情のあいだ

子育てするときに大事なことは、観察力なのかもしれないなと思った出来事があった。

離乳食を食べさせる場面で、私よりも夫の方が断然食べさせ方がうまい。

「食べさせるの、上手だねー」

というと、

「出てくる手は左手だから、出てきたらひょいっとよけて、口があーんと開いたタイミングで、スプーンを口に入れて、スプーンの上の方を持ってもらうと、手も汚れないし、こぼさず食べれるよ」

とのたまう。

よけていいんだ!!!

ってことも大きな衝撃だったが、動きをよく見てるんだなーというのが素直な感想だった。

 

で、今日早速やってみる。

言われたとおりやったつもりだけど、なかなか上手くいかない。

ひょいっとよけるが、よけたら勢い余って子どものほっぺや口の周りにおかずをくっつけちゃったりして。やっぱ、ダメだったか、と内心こっそりため息。

でも、それを繰り返すうちに、口を開けるタイミングがあった!という時が1回か2回くらいあって。夫は言語化してなかったけど、観察して、子どもの呼吸を合わせていたのかもしれないなと思う。

親子お互いに、気持ちよく、ストレスなく食べれたら、もっと食事が楽しくなるだろうなー。そのためには、愛情を山盛りにするんじゃなくって、観察力、磨こう。

組織と人と正しさと

組織と人の関係について、年末からモヤモヤと考えている。

こんなブログとか、

huurinntei.hatenablog.com

こんなブログとか、

meta-kimura.hatenablog.com

そうそう!と頷き、いやいやと首を振り、思いが泡のように浮かんでは消えるを繰り返していた。たぶん、こういう問題を”ほっておけない”というのだろう。

何か組織の問題、例えば過労死だとか、うつ病だとか、セクハラ・パワハラだとか、が起こったときに、もっと早く何かできなかったのか?何か手を打てなかったのか?と思うのは自然な感情だと思う。

でも、それはとても難しい。変化は砂のように少しずつ訪れるものだから。遠くまで来てしまってから、こんなに心が離れていたのか、辛かったのか、と気づく。

 

昔、プレッシャーを与えていた側になったことがある。

自分では仕事ができるつもりで、テキパキ仕事を進めていたら、相手がいつのまにか休職していた。その時は、なんであんなことくらいで、と思ったくらいで、全く悪気はなかった。

プレッシャーを受ける側になったこともある。

そのときにはあまりに辛くて、メールやパソコンに触る気にもなれず、どうやって自分を守るべきか、必死で探していた。

そのとき、初めて気づいた。あの人が弱いとか間違ってるとかじゃなかったんだって。そもそも、正しいってなんなんだ。

 

見える世界は人によって違う。社長・代表とスタッフ、支援者と被支援者、スタッフ間でも違う。そのときに、「見えないからしょうがない」とは言いたくない。知ったかぶりして、組織のここが悪いよねという評論家にもなりたくない。葛藤を持ちつつ、参加し続けたい。

じゃ、どうする、と思ったときに、

いい組織って「いてくれていいんだよ」「いてくれてうれしい」を送りあってる人の集まりなのかもしれないなと思った。そういう存在でありたい。

 

編集は不足から始まる

編集は不足から生まれる。

というのは、イシス編集学校の編集の心得の一つだけど、時間のやりくりという意味での「時間編集」も不足から生まれてるなと思う。

子どもが生まれて、強く感じるようになった。

 

例えば、お出かけで。

仕事していない時より時間は融通がきくけど、子どもを連れて動くとなると、どうしても気持ちは子どもから離れないし、単身で行動するときのような予定変更とかはなかなかしにくい。頭の中では、いつもどう動くとどこにエスカレーターがあって、何時間くらい経ったからそろそろミルクかな、、などとシュミレーションばかり。で、大事な用事をひとつか二つ決めて、出かけていく。

例えば、家にいても。

完璧な家事などからは程遠く(元々やってないけど)、少しくらい片付いていなくても、今何が大事だっけ?片付け?睡眠?夫との会話?と自分に質問して、決めることが増えてきた。前は少しくらい睡眠を削っても、とかリラックスタイムを削っても、、と思っていたけれど、片付いていて次の日にスッキリ始められることと、ぐっすり寝て体力回復と、どっち!!と考えて、睡眠かなと選ぶ。

できないことにイライラカリカリしていた時期もあったけれど、今は、(死ぬわけじゃないし)が心のキーワードで。

足りないから、ないから、見えてくるもの、生まれてくるものもあるかも。

 

出先でラーメンが食べたくなって、珍しく夫が探してくれて偶然ラーメン屋さんが大正解。情報不足から始まる名店との出会い、なんちゃって。

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いろんな人の力を借りて大きくなる

高校の友人たちとの子連れクリスマス会へ。

子どもたち喜ぶかな?と友人がケーキを焼いてきてくれて、フルーツやクリームを用意して、、だったけど、ケーキのデコレーション、最初は興味なしwの子どもたち。
あれー??笑

作っているうちに、一番年長の子がお母さんと一緒にやってくれて、そしたらわらわら載せたいってなって、待ちきれずに食べ始める子どももいて、、

自分の家で子どもとだけやっていたら、ガーン(せっかく準備したのに)とかキー(そんな風にクリーム塗るの)とかなってるだろうけど、友人といるから、期待が外れた感じや、子どものわちゃわちゃ具合すら楽しくて。

うちのも、将来こうやって載せるの(いやその前に絶対イチゴを食べるに違いない)かな、なんて思うのも楽しい。

 

友人からは、「新生児の時からだんだん二歳までは楽になってくよ」という一言ももらって。なんだかホッと。先日のJUMP会の時にも、「ちょっとくらいいろいろ食べても、消化できずに出てくるだけだから大丈夫」と。

出かけて、いろんな場所でいろんな言葉をもらって、だんだん私も育っていく。

 

ちなみに、任せたケーキはこんなアーティスティックに。いちごのバランス具合が絶妙なおいしそうなケーキになりました。

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12月JUMP会

気になってる!と言われるワードナンバーワンの、育休JUMP会。

育休中の人たちが、課題本を片手に、柴田さんのツッコミを受けながら、仕事のことをああでもないこうでもないと語り、目からウロコを落とす会だ。(私の理解)

今日の課題本は、先月に引き続き、一瞬で大切なことを決める技術。

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今月は、限りある時間、資源の中、どうやって捨てる?がテーマ。

捨てるって、何が大事(ダイジ)かを見極めるのとセットで。捨てられない、決められないという悩みを持つ人も少なからずいたので、決めるのって経験だよね、と柴田さん。

私は決めるのは全く苦じゃないのだけど(特にこういうデザートなら瞬間的に決められる)、それはこれまでにたくさん決めてきたからなのかもなぁと、自分の歴史を振り返ってみたり。(仕事もそうだけど、仕事外でNPO活動に関わって、いろいろ決めてトライしてきた経験はありがたかったな)

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でも一方で苦手なのが、ふりかえりで。柴田さんに指摘され、その時はそうかなぁとも疑問だったけど、なんだかじわじわきている。なんだろう、この感じ。

チャレンジすること、前に進むことは好きで、去年まではこれだ!と思うことをガンガンやってきたけれど、1年前に途切れて、はた、どうしようか、となっているのも事実。

ガンガンやってきた方向は、そっちじゃなかった気もしていて。

アラフォー、モヤモヤが募る(いい意味で)回となりました。

幸せはどこから来るんだろう

1年ぶりくらいに職場の同期の友人に会った。

私が入院する前は週1くらいで会ってランチしていて、仕事に対する思いは違えど、ずっと励ましあってきた友人だった。

友人は疲れていた。聞くと、隣の席の人が飲み会で激昂し、仕事辞めたらどうだまで言われたという。友人は傷ついた。怖くなった。無口になった。そして、閉ざしているようだった。

 

友人は職場の上司や同僚から、お前は恵まれているから、お嬢ちゃんだから、と言われることが多い。「だけどねぇ。それは変えようがないしね」。

私は話を聞きながら、幸せはどこから来るんだろうと考えていた。

 

人の幸せって、その人ごとで全然違う。

私はミーティングに出たり、学んだり、家庭以外でも役割があることがとってもうれしいけれど、家で自分の思うように何かを作ったり、自分のペースで飲んだり、ゲームしたりが好きな人もいるだろう。だから、環境が整っているからといってその人が幸せかどうかはよく分からない。整っているの基準も人によって違う。

たぶん、幸せは自分で創るものなのだろうなと思う。経験や体験から、見つけてくるもの。(たとえが悪いけど、ロマンティックなシチュエーションでプロポーズしてくれる人が好きという人もいれば、いざという時に動じずに応急処置ができる人が好きって人もいて。)

 

ヤギなら幸せってなんだろう、ってことはきっと考えない。

人間には脳があるから、抽象的なことを考えられる能力があるから。

あいつは楽して仕事しようとしててズルイとか、比較して。色々と考えてしまうんだろう。

(写真は脳について書かれた本。子どもの脳のことを知ると、脳ってほんとにすごいと思うんだけど、だからこそ幸せになったりも不幸を感じたりするのだろう)

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